ロシアのウクライナ侵攻とサッカー

「政治とスポーツは別」ということ

2022年2月24日(日本時間)に、ロシアがウクライナに侵攻したことは誰しもが知ることかと思います。
最初に申し上げておくと、一般市民を巻き込むこの蛮行は許されるものではありません。
国際政治学的に見ると、プーチンの人格を分析すると、などは偉い先生方にお任せすべきことであって、一般市民としては、とにかくこの侵略戦争が早期に解決し、一日も早くウクライナ市民が元通り(に近い)生活に戻れることを望みます。

その一方で、ネット上ではロシアをスポーツ界から弾き出すべき、という声が散見されます。
ネット上と言っても、特に酷いのはヤ○ーコメントな訳ですが。
そんなの相手にする必要はない、という気が自分でもしつつ、根幹的なことが理解されてないなという思いがあり、この投稿をしてみようと思います。

「スポーツと政治は別」
というのはある種使い古された言葉ではありますが、このような有事の事態であるからこそ、この言葉を改めてしっかりと見つめ直す時でもあろうと思います。
当サイトでの投稿ですので、サッカーの観点で見ていきたいと思います。

大きな勘違いから助長されているロシア制裁論

まず、今回のロシアによるウクライナ侵攻において、サッカー界として最も注目を集めたニュースは、2022年5月28日にサンクトペテルブルグで開催を予定されていたチャンピオンズリーグ(CL)決勝戦を、フランスのパリ・サンドニに変更するという、UEFAの発表です。
このニュースにおいて最初に言っておかなければならないのは、このシンプルなリリースが決定的なミスリーディングを招いていると言わざるを得ません。
なぜ変更する必要があるのかを明記せず、要旨としては以下の通りです。

  1. サンクトペテルブルグからパリに変更します。
  2. このような難しい状況で受けていれてくれたフランス政府に感謝します

  3. ロシアとウクライナのチームが行うUEFA管理の試合については中立地で行います
  4. 必要な判断ができるように今後も状況を注視していきます

 

これだけ見ると行間の読み方次第では「ロシアが侵攻したからCLの会場も変更した」と取られかねません。
後述しますが、UEFA、更にはその管理団体となるFIFAは、政治的なことを理由に会場を変更したわけではありません。
残り3ヶ月を切った世界的なイベントに対して、サンクトペテルブルグの会場及び関連施設の安全を確保しないといけませんし、その準備は一朝一夕でなされるものではありません。

試合会場の安全性の確保、およびコンディショニング、選手・スタッフの宿泊先の確保など、その準備は1年以上前からなされているわけです。
そのような状況下において、今後の情勢の見通しが立たない段階であらゆるアセスメントを行い、決断をしないと、決勝戦そのものが行えるかどうかも不透明になってしまいます。
ですから、「現状で正しく状況判断をするためにも、このタイミングで選手・スタッフの安全性を担保するために会場を変更する」という理由を明記する必要があり、それをこのリリースにおいて広く知らしめなくてはならなかったという点を指摘しなくてはなりません。

FIFA Statutesに明記された政治とサッカー分離の原則

ではなぜ先述の通りに理解をすべきなのでしょうか。
それは先にも述べたUEFAの管理母体でもあるFIFAの”FIFA Statutes”訳すれば”FIFAの法令”に明記されているからです。

まず本資料の第4項(PDF13ページ)には以下のように記されています。

  1. Discrimination of any kind against a country, private person or group of people on account of race, skin colour, ethnic, national or social origin, gender, disability, language, religion, political opinion or any other opinion, wealth, birth or any other status, sexual orientation or any other reason is strictly prohibited and punishable by suspension or expulsion. 
  2. FIFA remains neutral in matters of politics and religion. Exceptions may be made with regard to matters affected by FIFA’s statutory objectives.
 
1.については、いかなる国、個人、人種、肌の色などにおける区別・差別はしない、と明記しています。

2.についてがさらに重要なポイントで、「FIFAは政治的、地域的な事柄について中立であり続けます」と明記してあります。
すなはち、今回の事象に照らし合わせるのであれば、「FIFAはロシアがウクライナを侵攻したからといってその中立性を崩しません。ただし、このFIFAの法令を破るようなことがあれば、それは別です。」ということになります。
更には15項(PDF19ページ)において、メンバー国に対しても政治とは分離した主幹組織の組成を規定しています。
(a)〜(k)までの項目がありますが、今回の事象に関連するのは(a)〜(c)となるので、ここではそれを転載します。

  • (a) to be neutral in matters of politics and religion; 
  • (b) to prohibit all forms of discrimination; 
  • (c) to be independent and avoid any form of political interference;
 
順に見ていくと(a)政治的・地域的な事柄から中立であること (b)全ての差別を禁じていること (c)いかなる政治的な影響を受けずに独立していること ということになります。
つまりは、ロシアのサッカー主幹組織であるロシアサッカー連合(RFU)が、この憲章に明確に反しているということが立証されない限りFIFAおよびUEFAからロシア=RFUを除名する、つまりは国際大会から除名することはできません。
これを「戦争はその差別に含まれる」などと言い出すと、戦時下の国は全て除名または資格停止となり、FIFAが本来敷いている「政治的・地域的な事柄については中立である」という自らの組織定義を否定することになります。
よしんばロシアを資格停止にしたとするならば、それは理事会において極めて政治的な信条によった恣意的な判断が行われたと言わざるを得ません。
このような「法令」を掲げてきた以上、FIFAはロシアを除外または資格停止にすることができないわけです。
この点に関しては、過去にクウェート侵攻をしたイラクにも同様のことが言えます。
当時イラクはサッカーの大会から除名はされていません。
今回ロシアを除名する、という運びになれば、時を遡ってイラクはどうなんだ、イランはどうなんだ、フォークランド紛争のアルゼンチンはどうなんだということになります。

上記から考えると、ロシアを国際的なサッカーシーンから締め出せ、というのはFIFAが掲げるサッカー本来のあり方から逸脱する意見であり、よもやそれが行われたとするならば、それは国際サッカーのあり方を根底から覆すこととなってしまいます。

制裁の目はなし

そうは言っても、人としてやはり今回の蛮行は許し難いものです。
FIFA、UEFAがロシアをサッカーシーンから締め出せないなら、何が起これば締め出せるのか。

結論を言えば、先に示したFIFA StatutesにRFUが明確に違反していること、つまりはRFUにロシア政府が介入し意思決定を行うこと、またはロシアという国じたいが国連制裁を受けるしかありません。

過去を見てみると、ここでは内戦下にあったユーゴスラビアがEURO 92’への出場ができませんでした。
(ここでは当該の内戦については細かく触れません。ご興味のある方はお調べください。)
この際は、内紛が続くユーゴスラビアに対して、国連がスポーツも含めたあらゆる禁止事項を含んだ制裁を課したため、ユーゴスラビア代表は活動を許されず、スウェーデンに渡航することも叶いませんでした。

いやいや、これは流石に政治的な事柄にFIFAが縛られているではないか、という思いも私自身でさえもします。
ただ、このケースの場合は国連という政治的・地域的な括りというよりも、国内間問題を検討する組織体の中で合議の上決定した、ということにFIFAも従わざるを得なかった、ということになります。
ここでサッカーだけは例外、ということが起きていたとするならば、それこそFIFAの権力が各国代表の判断を超えるほど影響力が大きくなりすぎた、ということにもなってしまいます。

では実際に国連制裁がロシアに下って、国際サッカーシーンから締め出されることがあるのか、というとそれは現実的ではないでしょう。
国連安全保障理事会の常任理事国にロシアがいる限り、ロシアは否決権を行使しますので、国連内で孤立する印象こそつけられるでしょうが、実態として国連としての強い制裁は現実にはならないでしょう。
実際に、ロシアの否決により日本時間2022年2月25日にはロシア非難決議案が否決されています。

つまりは、サッカーファンとしては、それが納得し難いものだとしても、ロシアを国際サッカーシーンから消すということは出来ません。

欧米サッカー弱体化への始まりの可能性

ここまで述べてきたように、スポーツシーンにおいてはロシアを締め出すというのは、公正なことではありませんし、公正さを脇に置いてなんとか実行しようとしても不可能なわけです。

ただ今回の侵攻が、サッカーファンとしては本義ではありませんが、結果的にはロシアサッカーの弱体化の起点になるように思います。
親善試合や代表ウィークのAマッチを設定するのは各国主幹組織の自由です。
マッチメイキングができそうな国に打診をし、合意することができるなら試合をすることができます。
逆の意味で言うと、今回の侵攻を非難する各主幹組織からすると、自国の代表がロシアと試合をしても良いことがないと判断すれば、ロシアとの試合をセットする必要がありません。
サポーターが暴れる可能性がある、政治的なメッセージがピッチ内外で掲げられるなど、安全で安心な試合を行えないことを理由に、ロシアとのマッチメイクは避けることができます。
これは先のFIFA Statutesにおける中立性ではく、開催する試合の安全性を担保しなければならない主幹組織に与えられた権限です。
然るに、中長期的に見て、特に欧米各国・NATO加盟国やその連合国は、政治的に中立でありたいという暗黙の理由からロシアとのマッチメイクはしなくなるのでしょう。
例え中立地で試合をしたとしても、自国内サッカーファンからの批難は避けられません。

同様に、今回の侵攻が一個人に与えた印象も強烈だったでしょう。
ロシア国内で活動する非ロシア人選手が「不安定で先行きも不透明で自分の安全に関わる」という理由で退団することもあるかもしれません。
海外指導者も同様にロシア行きを拒むでしょうし、各国の育成ノウハウも共有されなくなってしまうかもしれません。
プレーする、指導する現場はあくまでも一個人ですから、サッカーという側面では各個人はその信条に従って行動するようになるでしょう。
レベルの高い選手がリーグに入って来なくなれば、国際試合で十分に戦える選手は、自国内のみで育成しなければならなくなります。
ロシアの育成メソドロジーがそこまで成熟していれば問題ありませんが、国際的に活躍する若手も少ない現状を見ると、さらなる後退は余儀なくされるでしょう。

一方で、各国リーグでロシア企業のスポンサードを受けているチームも同様でしょう。
実際に日本時間2022年2月25日には、マンチェスター・ユナイテッドが日本円で12億円相当の、ロシア航空会社アエロフロートとのスポンサー契約を破棄することを発表しています。
また、2007年からロシア企業ガスプロムのロゴをユニフォーム胸スポンサーとしているドイツ2部シャルケも、表記を無くしたユニフォームでプレーすることを表明しています。

ロシア企業のロゴを胸につけて躍動する選手をサポーターは見たくもないでしょうから、反対運動が巻き起こることになるでしょう。
となると、そのチームは新たに莫大な資金を注ぎ込んでくれるスポンサーを探さなくてはなりません。
しかし、コロナ禍で多かれ少なかれ痛手を被っている企業が多い中で、そのような新スポンサーを見つけることも難儀でしょう。
結果トップチームも青息吐息になり、ユースチームなどへの投資が絞られてしまうこともあるでしょう。

つまり、今回の侵攻は、ロシアのサッカーシーンを苦しませるだけではなく、欧州サッカーをも引っくり返すことになってもおかしくない事態であると想像するのはするのは難くありません。

僕が応援するチェルシーも、誰もが知るようにロシア人オーナーのチームです。
各国の経済制裁により、アヴラモビッチ氏の企業の資金凍結などとなれば、チェルシーも一緒に叩き落とされることにになります。

今回のロシアによるウクライナ侵攻は決して許されるものではありません。
また、オリンピックを始めとするスポーツ大会の開催には政治との関係は不可欠でもあります。
その一方で、プレーヤー・ファースト、どのような政治状況下にあっても選手がプレーをする機会を政治的な要因により取り上げることはないとするFIFA Statutesを僕は支持します。
サッカーは、スポーツは、政治的背景を除することはできなくても、与えられたフィールドの上で、共通のルールの下で互いが鎬をけずる場であるべきなのだから。